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[ファイナンシャル・タイムズ紙(5月3日)]
ロイヤル・フェスティバル・ホールにおけるロンドン・インターナショナル・オーケストラ・シーズンで先週木曜日に日本フィルハーモニー交響楽団が、その2夜後にバーデン・バーデンの南西ドイツ放送交響楽団がそれぞれ紹介された。この日本の交響楽団が、吉松隆の「鳥たちの時代」よりはもっと刺激的な作品を選択することも可能であったにもかかわらず、ポピュラーなレパートリーを不難にこなすことをしなかった事は評価されてよい。(中略)彼はしかしファリャの「三角帽子」で、自分自身をとりもどし、熱意をもって取り組んでいた。オーケストラは抑制と調和をもって応え、坂本朱は短い2ヶ所のソロで素晴らしいメゾ・ソプラノを披露した。1曲目のアンコール、ヒューゴー・アルヴェーンのグリーグに似た「エルジー」で、弦楽器は完壁な調和とフルージングを誇示し、素晴らしいクラリネットのソロが加わった。オーケストラは和田薫の「土俗的舞曲」のシンコペーションの動きに身を委ねた。(アドリアン・ジャック)
<ミュンヘン>
[ミュンヒナー・メルクア紙(5月2日)]
日本フィルハーモニー交響楽団は、その持てる総てを披露してみせた。(略)ラフマニノフとファリャでは、オーケストラの大音響を効果的に鳴らし、べートーヴェンの第1交響曲では、ヨーロッパ古典の神髄に迫るものだった。36歳の正指揮者・広上淳一は、「三角帽子」がダンスに誘うその前から、スプリング・ボールのように飛びはね回り、べートーヴェンで、既に荒々しい動きのワンマン・ショーを展開した。音響バランスという点では、とくにオーケストラの響きが重厚に過ぎ、適正な仕上がりとは言い難い。広上は、重くどっしりと大胆に、これ以上劇的なものはないというほどに強調してなぞり、勇猛果敢な雄叫びを彷彿させる。しかしアンダンテになると、二、三の柔軟性ある経過部がうまくゆき、すぐれた木管楽器がすばらしく美しい音調のフレーズを奏でた。ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」では、リズミカルな黙想というのがふさわしい。反応が早く正確な日本の奏者がたちならぴ、この作品で共演したロシア人ピアニスト、アンドレイ・ガヴリーロフが、うなるような低い昔で、とてつもなく素晴らしいテクニックを披露した。広上は、忌々しくなるほどリズミカルに繰り返す協演/競演を、的確なタイミングで調整をうまくはかり、見事に失策を回避してゆく。聴衆は感動し、広上が、変化に富む作品の勘所をしっかりつかみ、色彩、描写とも豊に演奏した素晴らしいスペインの「三角帽子」に熱狂するがままだった。(ガブリール・ルスター)
[ミュンヘン(5月2日)]
創立40周年の日本フィルハーモニー交響楽団と、その正指揮者・広上淳一によるヨ一ロッパ公演は、べートーヴェンの第1交響曲で開演した。それは鋭く研ぎ燈ますような効果ではなく、屈託のない演奏上のウイットとべートーヴェンの初期に対する深い理解である。さらにアンドルイ・ガヴリーロフは、駆り立てられたかのようにシュタインウェイに着くや、ラフマニノフの「パガニーニ協詩曲」をこの墓になったヴァイオリン奇想曲がピアノで受け継げるかを試みた。その24の変奏曲には、どんなにものすごいピアノ芸術が合まれていることか。もちろんそれはヴァイオリンのものである。残念ながらガヴリーロフにとってついていなかったのは、日本の演奏家たちがラフマニノフの華麗な器楽編成をあまりに生真面目に受けとめ過ぎ、この意味でピアノにも提示すべき十分の輝きを示す余地が、ソリストにあまり残されていなかったことである。
ついで主要作品として取り上げられたデ・ファリャの「三角帽子」では指揮者の振り付けに一見の価値があった。指揮棒を持ったり持たなかったりするが、ダンサーがオーケストラを指揮するのである。厳格さとユーモア/愛矯が対をなしていた。最後のクライマックスでは、日本のスペイン観の勝利となった。光輝く高カラットの管楽器奏者と弦楽器奏者達に、次の質間に答えて欲しい。皆さんは何処にそんなに長く姿を隠していたのか。そして皆さんの「スター・ダンサー」広上を何処に隠していたのか。彼は超音楽家であると同時に、エンターティナーだ。彼はいつまた来るのだろうか。(E.リンダーマイヤー)
対訳 梶川悦子(ロンドン評)
宮沢昭男(ミュンヘン評)

 

 

 

 

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